ライブハウス「新宿ロフト」は、1976年に西新宿の小滝橋通りにオープンした。その後、歌舞伎町に移転し、今年の10月1日に40周年を迎える。
Wikipediaに載っている来歴をみると、「新宿ロフト」がその時々の時代の空気を色濃くまとった特別な空間である背景が、何となくわかる。
ロフトプロジェクト代表の平野悠は、1944年東京生まれ。大学時代に新左翼運動にはまり、大学中退後郵政省に入省、新左翼系労働運動に従事し、逮捕歴3回。1970年郵政省を辞め、1971年ジャズ喫茶「烏山ロフト」を開店後、ロック・フォーク系のライブハウスとして西荻窪、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン、1980年にはロック居酒屋「自由ヶ丘ロフト」も開業したほかレコードレーベルなども立ち上げたが、1982年に新宿ロフトのみの経営となる。
「新宿ロフト」のオープニング・セレモニーは、鈴木慶一&ムーンライダースや、矢野顕子、大貫妙子、坂本龍一など、錚々たるプレイヤーによって行われ、その後も、「新宿ロフト」には、BOφWY、シーナ&ロケッツ、BUCK-TICK、スピッツなど、ロックシーンを牽引するバンドが出演し続けた。
フジファブリックとの縁も濃く、深い。もともとフジファブリックは、「新宿ロフト」を運営する株式会社ロフトプロジェクトのインディーズレーベル「SONG-CRUX」出身なのである。
2001年~2004年のフジファブリックの「新宿ロフト」「下北沢シェルター」への出演履歴は、以下で確認することができる。
番外編:メレンゲ/フジファブリック 新宿ロフト&下北沢シェルター出演履歴 - インタビュー | Rooftop
2009年に行われた志村正彦とメレンゲのクボケンジの対談でも、インディーズ時代の彼らの活動の雰囲気が伝わってくる。
志村:僕は......。ロフトって格があるなと思うんですよ。良いバンドが出れば出るほどパワーが違うなと思ったんです。他のライブハウスに才能がある人が出てもそんなにパワーを帯びないんですけど、ちゃんとしたライブハウスなので、才能がある新人とかベテランの人が出るとパワーがあるし、動員数もあるし、くるりが出た時はすごいパワーがありました。自分のライブになると、当時ロフトには年中出てましたからね。はい、またロフトです、みたいな。機材置いておいて良いですか? っていう感じでした(笑)。(上記Rooftopインタビュー)
歌舞伎町の雑居ビルの地下二階にあるそんなライブハウスで、久々にフジファブリックがライブを行った。オープニングの曲は「花屋の娘」。配管がむき出しの低い天井も、ところどころひび割れてる市松模様の床も、2003年当時と変わらない。そんな場所で、あの頃と同じように鍵盤が響けば鳥肌が立つし、演奏している方もいろいろな想いが交差しただろう。オーディエンスの頭越しに見えた山内総一郎氏の表情は、ときおり、2015年の武道館ライブのときと似ているように感じた。
かばんの中は無限に広がって
何処にでも行ける そんな気がしていた
花のように儚く色あせてゆく
君を初めて見た日のことも
(フジファブリック「花」作詞作曲:志村正彦)
志村正彦の作詞作曲になる「花」は、これから広がる未来への期待と失われていくものへの想いを歌った美しいバラ―ドだ。この二つの感情の相克は、志村正彦の歌に繰り返し現れるテーマの一つであり、この日、フジファブリックが演奏した「花」は、作り手の想念と歌い手の感情が綺麗に重なった一曲となった。セットリストからも分かるように、過去と未来が交差するライブだったと思う。
フジファブリック LIVE AT SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY セットリスト
花屋の娘
スワン
ポラリス
シャリ―
追ってけ追ってけ
ダンス2000
花
ブルー
LIFE
夜明けのBEAT
WIRED
夢みるルーザー
Splash!
バタアシParty Night
Surfer King
STAR
銀河
Green Bird
虹