2015年7月号に、フジファブリック山内総一郎のインタビューが掲載されています。
ミニアルバム「BOYS」盤キャンペーンがはじまって、これからいろんなところでインタビューが読めそうです。
フジのページは、「BOYS」盤ジャケ写っぽい見開きの写真が2頁、総君のインタビューが3頁、総君の写真が1頁というボリュームです。
まず見開きページ写真の感想から。
加藤さんが凄く決まっています。伏せ目がちのこの角度、とても良いです。加藤さんはステージ衣装もいつもカッコいいし、自分の良いところをわかってるね!っていう感じのスタイルが多い。彼についてはルックスが変わらない、と度々このブログでも触れていますが、でもやっぱり重ねている年輪は感じられるわけで。アラーキーの「裸ノ顔」を見ても思いますけど、「顔」はその人の生き様がでる履歴書です。メンバー3人には、これからも良い感じで年齢を重ねていって欲しいです(そして私もがんばる)。
ダイチャンは泣き顔ですね。眉毛のせいかな?何故に、何が、悲しいのか(または悲しくないのか)。
山総氏は、ちょっとふてぶてしい感じ。今はこういう心境なのか?
インタビューでは、Live at 武道館、アルバムLIFEのこと、BOYS盤のことをバランスよく語っています。アルバム「LIFE」についてふむふむと思ったのは以下のくだり。
「あれで、なんか自分を救っちゃったとこがあって」
●うん、そうだと思います。
「やべえ!と思って、はははは。全然作ってる時は気づかなくて。リリースしてツアー終わって、『どんなアルバムだったんだろうな?』ってまた思ってたら、『ああ、これは俺、自分を救ってしまってるなあ』って。」
本人が気づくのが最も遅いという・・・・。
創作してる本人は案外そんなものなのかな。
山総氏は、非常に身体的というか、感覚的な人という印象があります。頭で考えるのではなく、自分の中の感覚に導かれて進んで行って、後から振り返ると綺麗な布置(コンステレーション)ができているというようなイメージ。「STAR」「VOYAGER」「LIFE」は綺麗な星座を作っています。
注目すべきくだりがもう一つ。
「そう、『LIFE』を作った時に”sing”がまずできて。その時の自分と、その武道館のステージの自分はもう別人になってましたね。そう、『君がいないから歌う』っていうようなのも、最初はたとえば志村くんとか、かつての恋人とか、亡くなったおばあちゃんとか、わかんないですけど、その人のために歌うと思ってたんですけど、今からでも歌詞変えたいくらい、その相手はいるんだってステージで気づくっていう始末ですよ。」
歌を届ける相手としての「不特定多数の人々(ファン含む)」が、山総氏にとって、具体的な対象として目の前にばあーっと表れたということか。
もしやこれが盛岡でのキラキラビームの原因か???
だとすると、これは単に彼のエネルギーがたまたまチャージされてたとかそういうことではなくて、「覚醒」なのかもしれないですよちょっと奥さん!
どうなんでしょうね?
答えはいずれ、ステージで。