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彼方の音楽

毎日の中でこころ動かされたことを、つらつらと綴っていきます。

「主従関係」(著作権法の)とかについて調べてみました【勉強編】

JASRACから、私のフジファブリックへの公開ラブレター(歌詞引用付き)の約3分の1は著作権法違反だから削除せよ、と言われたので、ほんとにそうなのか、更に、調べてみました。 

 

なんでこんなにがんばっているかというと、後に書きますが、これは意義のある議論だと思っているのが一つと、明日、フジファブリックのライブツアー「STAND!!」追加公演(LINE LIVEで聴く予定)が中野サンプラザホールであるので今日しか時間がない、という二つの理由があります。

 

著作権法32条の「引用」をめぐる学説・裁判例は錯綜している

部氏の本を読んでよくわかりましたが、今、著作権法32条の「引用」にあたるかどうかを判断するための基準については、いろいろ錯綜しているようです。誤解をおそれずにまとめると、私の理解では、こんな感じです。

 

  • 昭和55年3月28日、「旧著作権法三〇条一項二号にいう引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいい、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物間に前者が主、後者が従の関係があることを要する。」との最高裁判例が出る。
  • その後、いろいろな裁判所が、最高裁判例を踏襲して、①明瞭区別性と、②主従関係、を要件として判決を出す。
  • 「いやちょっと待て。著作権法32条には、明瞭区分性とか主従関係って書いてあるわけじゃないし。原点回帰すべきでしょ」(←こんなこと言った人がいるわけじゃないけど、こんな感じかなーと)と、著作権法32条1項の文言である「公正な慣行」や「正当な範囲内」への該当性をストレートに検討する裁判例が現れる。
  • その後、明瞭区分性や主従性は「公正な慣行」や「正当な範囲内」の判断の一要素であるとする説、いやいや予測可能性という観点からはこの二つの基準はとても分かりやすいという説、など議論が百出する。

最高裁判決の述べているこの二要件と32条の文言との関係は明確ではない。この二要件を条文のどこに読み込むかという点に関して、学説は定まるところを知らない。この二要件と32条との間には論理必然的な関係があるとは思えないが、最高裁判決という重い存在があるために、多くの学説はその呪縛から脱却できず、最高裁判決の文言を所与のものとしているので、いずれの学説も明確な根拠を示し得ないでいる。

中山信弘著作権法〔第2版〕』324頁(有斐閣,2014))

 

なんか、呪縛とか、重いですね・・・・(そして格調高い)。

そんな状況なので、私のブログについては、①明瞭区分性、②主従性、に加えて、③個人ブログの世界の公正な慣行ってなに?という視点と、④個人ブログでバンドのファンがキャーキャー言うにあたって正当な範囲ってどこまで?という視点からも検討を加えてみたいと思います。

 

「主従関係」を決めるのは分量じゃない

「主従関係」の判断基準については、こんな風に説明されています。

 

「主従関係」は引用されるものと引用するものとの分量の比較だけで決定できるものではなく、引用しあるいは引用される著作物の性質、引用の目的・態様等の様々な要素を考慮する必要がある。

(前掲中山323頁)

 

総合的に判断。ケースバイケース。

そう言われると困っちゃうんですけど、でもいろんな場合があるから、そうとしか説明できないんでしょうかね。

 

QESTION  主従関係というのが、いまひとつピンとこないのですが。

ANSWER 多くの方がそう言われますが、その理由の大半は、主従関係を「従とは何か」という方向から見ることにあります。しかし、「主とは何か」についてもっと究明しないと、従とは何かが明らかにならないと言うべきです

(北村行夫=雪丸真吾編『引用・転載の実務と著作権法〔第3版〕』62頁(中央経済社,2014))

 

えっ なにこれは深い系?

お嬢様と執事でいうところの「主従関係」にも当てはまりそうな回答です。ちゃかしてすみません。でもすごいヒント!

ちなみに、原文でも、太字の部分は太字です。

 

QESTION  他人の著作物を批評するときに、自分の著作物の分量が少ないと引用にならないのですか。

ANSWER そんなことはありません。他人の著作物に対する寸鉄の評言が引用にならず、冗長な批評なら引用になるということはあってはならないことです。

 適用な引用において、利用する側の表現と利用される著作物との多寡は一律には決まらず、結局、具体的な事情のもとで、批評その他の目的にとって必要な限度の量の利用か否かによって、決せられます。

(前掲北村=雪丸66頁)

 

ふむー。具体的な事情のもとで、個別具体的に判断するよ、というのは変わらないものの、北村先生のヒント、つまり、「主従」の「主」がしっかりしていれば、引用したものは「従」になる、という観点は、一つの着目点かもしれません。

 

量だけではなく質も重要で、その質とは自分の著作物がどれだけ、どれだけ「主」たる質を備えているかが問われるのである・・・・。怖い!

 

「公正な慣行」と「正当な範囲内」もみてみる

「主従関係」は、よくわかるようなわからないような、そんな感じなので、今度は「公正な慣行」と「正当な範囲内」についてみてみることにします。

 

公正な慣行については、(a)引用し、引用される著作物の性質・種類、(b)引用の目的・態様等に照らし、通常、著作物の引用行為として実態があり、かつ、それが社会通念上妥当と認められる場合であると説明し、引用の必要性ないし必然性が一般的に認められることが必要であるとする学説もある。

 

…他方、上記(b)の利用の目的・態様については、原告著作物における被引用部分の割合、被告作品における引用部分の割合(量のみならず質も重要である。)、被告作品における掲載の態様(必要最小限度の範囲を著しく超えれば引用とはいえない。)等の要素を総合的に考慮することになると思われる。

(髙部眞規子『実務詳説 著作権訴訟』270頁(文昌堂印刷,2012))

 

なんか「主従関係」のところと、言ってることは一部かぶっていますね。目的と態様、著作物の性質、引用の量と質、などなど。

 

「目的上正当な範囲内」については、どう考えればいいのでしょうか。

 

引用の目的上正当な範囲内についても、

a 被引用側の元の著作物全体における被引用部分の割合(全部か一部か)

b 被引用著作物の権利者に与える経済的影響ないし効果

c 引用の目的・批評関係

を総合的に判断するとの学説がある。

(前掲髙部271頁)

 

これは比較的、わかりやすいですね。

 

次回は、私のケースがどうなのか、これらのルールにあてはめて考えてみたいと思います。