フジファブリックのアルバム「TEENAGER」に収められた一曲。作詞志村正彦、作曲山内総一郎。
「ちっちゃな野球少年」と、彼が気になる、赤いマフラーの「君」の物語。
淡い想いを伝えられないまま、卒業式の日に記念写真を撮って別れた二人。
時がたち、甘酸っぱい日々が遠い思い出になった現在、今電話したら何が起きるだろう?と少年は思う。
そんな歌詞です。
もはや少女でも、もちろん少年でもない私ですが、この歌詞が最近身につまされます。
記念の写真 撮って 僕らは さよなら
忘れられたなら その時はまた会える
季節が巡って 君の声も忘れるよ
電話の一つもしたのなら 何が起きる?
「忘れる」ということがキーワードになっています。
「忘れる」って素晴らしい。
「忘れる」機能がなかったら、大変に困ったことになったでしょう。「忘れる」からこそ、また再会できる人がいます。
嫌な思い出やわだかまり、どうしても許せない出来事、そういったものも、時が洗い流してくれれば、もう一度笑顔で会える日も来るでしょう。
ならば、せめて写真の一枚でも撮って別れようではありませんか。
唐の時代の詩「看酒」に、井伏鱒二が名訳をつけています。
君 に勧む 金屈卮満酌 辞するを須いず
花 発けば 風雨多し人生 別離足る
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルサ
サヨナラダケガ人生ダ
「人生別離足る」は、直訳すれば、生きていれば別れは多くあるものだ、となりますが、これを「サヨナラダケガ人生ダ」と訳してしまうところが、すごいです。「多くある」というレベルじゃない。もうサヨナラだけ。それだけ。
きっとこの写真を 撮って 僕らは さよなら
忘れられたなら その時はまた会える
手紙に添えられた 写真見たりするんだろうな
染められた君を見たのなら 何を想う?
再会するために一度忘れましょう。
そしてその代わりに写真を撮っておきましょう。
失われることが予定された思い出の代わりに
この瞬間の笑顔だけ切りとって仕舞っておきましょう。
そうしたらきっとまた
いずれまた