彼方の音楽

毎日の中でこころ動かされたことを、つらつらと綴っていきます。

ほしよりこ「逢沢りく」 家庭はすべての病の源である

フジテレビ土曜日深夜の番組「久保みねヒャダこじらせナイト」で、漫画家の久保ミツロウが岡村靖幸とデートしてたんですが、そこで岡村靖幸が、ほしよりこ「逢沢りく」を薦めていたので、読んでみました。 

 

逢沢りく 上

逢沢りく 下

 

りくは中学生。おしゃれなパパと、カンペキなママ、
「オーラがある」と友だちが憧れる、ちょっと特別な存在。
美しい彼女は、蛇口をひねるように、
嘘の涙をこぼすことができた。悲しみの意味もわからずに――
(amazonの紹介文)

 

「きょうの猫村さん」と同じタッチ、つまり、鉛筆のラフな線で、台詞もすべて手書きで、物語はすすんでいく。ただ、絵がすごく上手いので、書きこみが薄くても気にならない。むしろ、余計な情報がそぎ落とされている分、ストーリーがダイレクトに伝わってきます。

 

主人公の中学生「りく」は、こころが冷えて固まっちゃってるみたいな美少女なんですが、その背景には家庭環境があり、特に母親がえぐい。ただ、この母親の描き方が秀逸です。

 

以下、ある程度のネタバレありの感想です。

 

 

母親は、夫の伯母についてこう語ります。

ママ、あなたにはああいうところから影響受けてほしくないのよ

ほら、悪い人じゃないのよ

ただ、なんていうか

気をつける事のレベルが違うの

あなたも関西弁苦手でしょ

 

そんな伯母のところへ娘を行かせる時には、夫にこう語ります。

あの子ができてから

ずっと自分の事二の次にしてきたし

わりとちゃんとやってきたと思うんだけど

ああいう事されちゃうとさ

あー 自分って何なんだろーって思うよね

自分の事を考える時ってもうあまりない気がする

あなたと二人きりの生活も今までなかったワケじゃない

 

巧妙。実に巧妙です。

 

ある意味でこの母娘は似た性格のところもあるのですが、下巻で、母親は昔の男らしき人物に看破されます。

これ以上俺の事を傷つけないでくれるか

君は・・・・

君はいつも自分を必要としている人を自分に引き寄せて

その後、思いっきり突き放す

そして相手が傷ついてるのを見て安心してるだろ

相手の傷が深ければ

深い程、

自分が必要とされてると思ってる

 

文字にしてしまえば、よくある話で、誰もが少しずつは持っているような感情です。もっとも、これをド派手にできるのは自己愛性人格障害の人だけですが。

このシーンまでに、母親の実に巧妙なワザを繰り返し見せられ、主人公の「りく」に感情移入しているだけに、ここにきて「母親も一人の女で、この人にもいろいろあったんだろう」って思わせるこの場面は、重みがあります。

 

ちなみに、この母親が、中学生の娘の制服を着たままラーメンを食べてるシーンを見て、この母娘はやっぱり似てる、と思いました。娘の方が可塑性に富んでいますけどね。

 

そんでまあ、ラストは、はい、罠にかかったように号泣ですよ。号泣。

 

時男:「お姉ちゃん、あんな司お兄ちゃんとおじいちゃんはまちがえたの

大人でもまちがえることあるの」

りく:「だめなのよ・・・

大人は絶対にまちがっちゃ

絶対に・・・」

時男:「ゆるしてあげるの」

りく:「だめなんだから

簡単にゆるしちゃ」

 

「りく」は自分が今まで母親に傷つけられてきたことを認められずに来ました。でも、両親から離れて大伯母さんのところで暮らすうちに、少しずつ感情に軋みがうまれ、自分は本当は傷つき、悲しんでいる、と認められるようになったのではないでしょうか。

そして、母親に対して許せない感情を持っているにもかかわらず、時男に「ゆるしてあげるの」と言われて、「りく」はとうとう走り出します。

 

走って、走って、誰もいないところで泣くのです。

 

彼女は母親を許せるようになるのでしょうか。

中学生の「りく」にはあまりに重い現実です。「りく」は母親が好きだし、普通に愛されたいのです。でも、彼女(母親)がそんな簡単な人格でないことを、娘は誰より知っています。

 

最後のシーンで、蟹が「りく」に気付き、「りく」のことをじっと見ているようにみえます。少なくとも、蟹は逃げません。動物にことごとく嫌われ、逃げられる「りく」ですが、最後のシーンで蟹が「りく」から逃げないことは、彼女が変ったことを示唆しています。

 

機能不全の家庭は病を生み出しますが、「りく」の行く末はどうなるのか。それを待たずに、この物語は終わります。でも、同じような状況を背負った人は世の中に大勢おり、そのひとりひとりにとっては、人生が終わるまで物語も終わりません。

エンドロールのない物語を、みんな生きていくしかないのです。