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彼方の音楽

毎日の中でこころ動かされたことを、つらつらと綴っていきます。

山内総一郎氏のメタモルフォーゼ

山内総一郎は、写真、映像によってひどく顔が違う。写真うつり、という言葉で解消できないレベルである。いろいろな経験を経てのことだろうが、総じて言うと、アーティストとしての深い相克を経て、「ず太くなった」という印象を受ける。

 

私見では、おおざっぱにいうと以下の変遷がある。

 

大阪のギターの兄ちゃん(~TEENAGER)

ジーンズのポケットにはいつも両手突っ込んでます

  ↓

あか抜けてきたピスタチオ(CHRONICLE)

服装がオシャレになってきた!頭に犬乗っけてる!

  ↓

まさかのコボちゃん+白衣(MUSIC~STAR)

襟足を間違うとこういうことに

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目の下のクマが心配!ピスタチオ(VOYAGER~FAB STEP)

全国のファンが心配

  ↓

小藪・・・・!!(LIFE)

志賀監督、もうちょっと考えてください

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ビートルズコスプレ(Live at 武道館)

とにかくいろんな意味で別人

  ↓

松山ケンイチですか?(はじまりましツァー)

憑き物は落ちました

  

キーボードの金澤ダイスケが、ひたすらモード化して行くという進化論的変化を遂げ、ベースの加藤慎一がひたすらブレず、「(フジファブリックに)誘った日と殆ど印象が変わらない」(週間金澤・あとがき)状態であるのに比べて、山内総一郎の変わり様は、とにかく激しい。

 

彼が初めてボーカルとして歌ったのはアルバム「MUSIC」の「会いに」である。

 

――結果的に総君が唄うことになった決め手は何だったんですか?

「なんだろうなあ。曲の雰囲気なのかな。詞は加藤さんなんで普通だったら書いた人が唄うほうがいいかな?とも思うんですけど、今回はちょっとそういう物差しとも違うだろうと。そこで3人でいろいろ試してるうちに、結果的に何で俺になったんだろ?って感じなんですけど」(音楽と人2010年8月号)

 

これが本音だとすれば、必ずしも積極的ではない。

「MUSIC」をリリースした3人は、2011年4月に3人体制での活動継続を発表する。それまでの間、3人で今後の活動について話し合っているときに、山内は「俺が歌う」と言ったのだという。このあたりのことについては山内自身もダヴィンチのインタビューで語っている。

 

フジファブリック自体は続けるという結論に至った後も、ゲストボーカルを招いて、インストバンドとして、続けていくっていう方法も考えました。でも「フジフジ富士Q」で、ほかのバンドの方に間近で触れて、そこに独特の空気やサウンドがあったり、言葉があったり、音楽に対する姿勢があるのを見ていたら、「僕らフジファブリックにも、そういう空気はある」とすごく感じて。「そういうフジファブリックだけの音や言葉を失くしたくない」って思ったんです。だから3人でやっていこうと思った。だったら歌がないと。「歌えるんだったら歌っていこう」って気持ちで、二人の前で「俺が歌う」って言ったんです。(ダヴィンチ2014年8月号)

 

山内自身、志村のボーカルに強く惹かれて、ここまで来たのだ。当然、葛藤があった。そのことは、バンドメンバーである金澤、加藤が誰よりも身近で見ていた。

 

山内くんからあの日「自分が歌う」という言葉を聞かなければバンドの存続は難しかっただろうし、それはプレッシャーであり責任であり覚悟だったはずだ。(週間金澤・あとがき)

 

そのあたりから山内の人相がどんどん変わっていくのだが、アルバム「LIFE」は一つの大きな転換点だったようだ。アルバム「LIFE」の収録曲で一番最初にできたのは、「sing」だという。

 

だって俺がギターじゃなくて声――唄うことも自分の担当になったら、自分のこと唄うしかないでしょ?みたいな。もし誰かに『志村くんの歌を聴きたい』って言われても『俺も志村くんの歌を聴きたいよ、でもこの身ひとつしかないし』って思うし。(音楽と人2014年10月号)

 

フジファブリックの公式ウェブサイトのアーティスト写真を見ると、山内総一郎の人相の移り変わりが良くわかる。2015年現在の写真は、白黒の今までとちょっとテイストの違う写真であるが、加藤が微かに笑い、金澤が少し泣いているようにも見える一方で、山内は生真面目に正面を見つめている。今まで見たことのないような顔にも見えるし、アルバム「MUSIC」がリリースされた後に富士吉田で行われた取材時の写真(音楽と人2010年8月号198頁)に似ているようにも思える。

 

私はどうしても気になって、過去の写真をよく見返すのだが、前髪を簾のように垂らして俯いてギターを弾く過去のステージ写真の中にも、武道館での表情やFAB STEPの頃の表情を見つけることはできる。

 

きっと本当は全部、昔から居たのかもしれない。ただそれが表には出てこなかっただけで。

 

大勢の前で歌い、自分を掘り下げるのは怖いことである。そんな風に自分をさらけ出してしまうことになるのだ。でも。

 

歌を唄うヤツは自分の歌を書かないといけないんですよ。ちゃんと。自分の歌を書かないといけない。やっぱりステージでお客さんを前に唄うような行為を繰り返してると、自分のことを唄わないとなって思うようになる。あんなに幸せな瞬間をもらってる場所なんだから。(音楽と人2014年10月号)

 

ステージの中央は、やっぱり特殊な場所である。