アルバム「LIFE」の中でも少し変わった、無国籍っぽい雰囲気の一曲。作詞作曲山内総一郎。「ウクレレでどれだけ暗い曲が作れるだろうな?と思って」作ったとのこと(ギターマガジン2014年10月号)。
山総さんは、時々エスニックなメロディーが思い浮かぶらしい。「君は炎天下」なんかもそうですね。この曲は、ウクレレで作ったとのことなのですが、中近東のような中国の南のあたりのような、弦楽器の奏でる不思議な旋律が流れています。しかし、歌詞には「太鼓」や「浴衣」といった単語が出てくるので、舞台は日本なんでしょうね。
そしてもっと言えば、この曲を聴いて私の脳裏に浮かぶのは、外回りの営業からの帰社の途中、公園のベンチで休んでいるリーマンの姿です。それはなぜか。
抜ければ近道 帰り道
みんなの上には傾く陽
ベンチに座って見渡せば
砂場は誰かが独り占め
この人は何をするでもなしに、公園のベンチに座っているようです。砂場では子供が遊んでいるけど、それは「誰か」であって、知らない子。
「みんな」の上には陽が傾いているけど、その「みんな」の中にこの人は入ってるんですかね?
重なる太鼓は窓の中
祭りの支度を進めてる
一つの心をかき立てて
はがれた蝉が鳴いている
町内会の人などが太鼓の準備をしているようですが、この人は当然参加せず。窓の外からぼーっと眺めて、あー蝉が鳴いてるなーとか思っているようです。缶コーヒーでも飲んでそうですね。
もうじきここはステージを
囲んだ浴衣の人たちと
じゃれる子供の歌声で
とてもにぎやかになるだろう
なるだろう・・・・って、あなた、祭りに参加する気、サラサラありませんね。
地元のお祭りだとすると、もうちょっとなんかこう、支度を手伝うとか、知り合いを見かけるとか、参加して楽しかった過去を思い返すとか、あると思うんですよ。この詞には一切そういうものが感じられない。
だから地元のお祭りじゃないわけです。
でも、「抜ければ近道 帰り道」とか、「もうじきここはステージ」とか言っているので、少しはこのあたりに土地勘はあるようです。とすると、中途半端なストレンジャーとなるわけで、しかもこの人全然わくわくしてないので、むしろちょっとアンニュイなくらいなので、お祭りに参加できない、余所者の、帰社途中のリーマンという図が浮かびました。
以上、勝手な想像(設定)でした。
しかし、山総さんはなんでこんな詞を書くんですかね。ライブとかフェスとか、数多くの「祭り」に参加している人ですが、心の中にはこういう寂しいお祭りもあるんですかねえ。
つくづく不思議な人だ・・・・・。